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ズッキーニ

最近、周りが旅にでたりする。そういえば2001年10月11日からの約一年、僕も海外を一人旅した。あのテロのジャスト一ヶ月後だった。帰国後、皆からは旅どうだった?なんて聞かれたが、まあ、楽しかったよ、と、あまり誰にも具体的に話すことなく今に至っていた。普通は話すだろ!と、2012年の4月、今になって思った。だから小話。ちょい長いけど。

英語も当初は全く話せず、とりあえずオーストラリアの、一年間なにしても良いよ!ってビザを取ったので、よくわからずシドニーって街に行った。空港着いても右も左もわからんからセントラルって名前の駅が中心ぽかったのでそこに向かった。勘は当たっていて大都市の中心だった。そこから最初の三ヶ月は端折るとして(町にはすぐに馴染みカジノやらパブやらとただただ遊んだだけ...)、シドニーは東京とあまり変わらなかったので田舎に行こうとネットカフェで仕事を探し、ある田舎町でズッキーニ狩りスタッフ募集をしてるとのことだったので、とりあえずその田舎町に向かった。

ブリスベンという都市からさらに内陸に数時間のスタンソープという農業の豊かな町だった。バスから降りたらいきなり町の人達の注目を浴びた。子供が、あっ、アジア人だ!と叫んだ。アジア人が珍しかったみたいだった。後日、町行く知らないおじさんに、お前、あの時あそこのバス停から降りて来た奴だろ?俺は近くで見てたよ、なんてことも言われた。そんな町だった。町の案内所に行き、宿の場所とズッキーニ狩りについて教わり、そこまでただひたすら歩いた。65lのバックパックを背負い一人歩いていると、車が一台停まってくれた。綺麗なブロンドお姉さんが一人。彼女は車に乗せてあげると言ってくれたけど、場所を説明すると、なにやら方向が真逆とのことで結局車には乗せてくれなかった。向こうから声かけてくれたから違う期待もしてしまったわけだけど、まあいい。
 
そうこうしながら小一時間歩いていたらキャラバンパークが幾つか見えてきたので一番大きなところにチェックイン。テントは持ってなかったので料金安い四人部屋にした。このキャラバンパークはとにかく臭かった。施設内は肥料の匂いが染み付いていて季節労働者と世界中からのバックパッカー達で溢れていた。多分、何百という人達が宿泊していたと思う。中に日本人は三人だけいた。一人の日本人男性だけが僕に友好的に話しかけてくれ、日本人では彼とだけ気も合いすぐ仲良くなった。
 同い年で練馬出身だった。で、元チーマーで元ヤクザだった。彼は若い頃からいろいろと罪を冒し何度か服役しお務めを終え晴れて一人旅をしていた。ボランティアや畑仕事に懸命に心を費やすことで今までを償うような、自身の人生をまた一から、まっとうな道に進めますように、と、オーストラリアに来ていた。根っこからとても良い奴だった。まあ、でも血の気は多かった。宿にいる愛想ない一人の男に彼は度々ムカついていた。

ある時、練馬の彼の堪忍袋の尾が切れるような態度をその男はした、みたいだ。ま、ただの態度。でも、練馬の彼は、奴をこれから半殺しにしてくる!と、怒り心頭。で何故かそれを決行前に僕に報告してきた。僕は、そんなやり取りがなんだかアホくさく感じ、なんでまたこんな異国の地まで楽しい旅に来てるのに、そんな一人の愛想ない男のことばかり見る?見れば誰でもムカつくんだから、そんな奴は放っといて楽しいことに意識むければ?酒でも飲んでお姉ちゃんの尻でも見てたほうが百倍楽しいぞ。なんて、アホな回答をした。そしたら練馬の彼は、急にモードが変わった。「、、だな、ありがとう、本当、そうだな。。」と、僕に言ってくれた。で、彼から怒りのオーラが消えた感じになった。なんか良いこと言ったみたいだな俺、なんて、僕も嬉しかった。

数日してキャラバンパーク内の巨大なリビングでズッキーニ狩りの為の小難しい書類に記入をしていた。タックスファイルナンバーだとか諸々。小難しい英語の羅列で一人あたふたしていたら、アジアテイスト満載なナリの妖艶な雰囲気のバックパッカー欧米女子が僕の隣にやって来た。私も手伝ってあげる、ウフフ。って感じで、大きなお目々はトロンとしていて身体は色白ムッチムチ、ぱっと見、娼婦が旅にでちゃいました、みたいな、そんな娘だった。そして彼女は優しく優しく書類を一緒にこさえてくれた。セカンドカミングきたー、と、僕はまたあらぬ期待。書類制作終わり、パブに一緒に飲みに行こうと彼女から誘いを受けた。誰それも誰それも誰それも行くから、と、全員男の名前だったので、その日は気が乗らず断ってしまった。そしたら彼女は次の日かその次の日には違う町へと行ってしまった。あちゃー。まあ、いい。

ズッキーニ狩りは半端じゃなくキツかった。同じ部屋の巨漢ドイツ男子はズッキーニのいばらの茎に両腕を殺られアレルギーをおこし腕が真っ赤に腫れ上がっていた。痛いよ痒いよ、ズッキーニやばいよ、俺の腕はこれもんだ。リュウマも気をつけろ。と、忠告を受け、毎日36度越えの炎天下の中、腕を殺られないようウインドブレーカーを着込み朝六時から八時間ぶっ続けでbenddown(かがみ込み)横歩きしながら棘だらけの茎を掻き分け大量のズッキーニをナイフで切り取る作業だった。灼熱トゲトゲ腰痛地獄。作業が終わると脱水症状と腰の激痛と太もも乳酸溜まりまくりだった。寝る時は腰の下にタオルを丸めて痛い箇所をほぐしながら寝た。で、また朝になり地獄の八時間。これの繰り返し。

そこの農場のボスは若かった。多分同い年くらいのカウボーイハットにウエスタンブーツのナリのダサい、トムクルーズにそっくりな奴だった。口がかなり悪く、偉そうで、映画のスタンドバイミーにでてくるエースみたいな(あの24の主役の人ね)、悪ガキの大将みたいな奴で、日本人の僕には「おい!コンニチワ野郎」という感じだった。で、ナイジェリアの子には黒人差別用語を笑いながら使った。その田舎版トムクルーズが黒人の子への差別用語を使った時は十五人位いたイギリス人やらオランダ人やらの僕ら多国籍バックパッカー労働者達が皆キレてズッキーニ狩りは一旦止まり乱闘寸前にもなった。まあとにかく、そいつはとても嫌な奴だった。

ズッキーニ狩りを三週間もした頃、宿泊しているキャラバンパークの真隣の強大な敷地で「トラクターフェスティバル2002」が開催された。トラクターフェス!ダサすぎる!ウケる!と、僕は面白く思ってしまったが、いざ開催されると、とんでもなく素晴らしいフェスだった。最新型のトラクターや農耕機の展示、ロデオマシーン、数々のワイン農場からの取れたてワインテイスティングし放題、カントリー音楽大爆音、近隣の町からも人が集まりウン千人規模の物凄い数の人達が集まった。僕は練馬の彼と二人でワインを飲みまくった。僕はお酒は強いほうではないけど、なぜだかしこたま飲めた。日頃のトムクルーズへの鬱憤もあったせいか練馬の彼とカントリー音楽爆音の中へべれけに酔っ払った。踊りまくって知らない皆と陽気にイエーイ!とハイタッチしたりした。

そんな調子で楽しく陽気に数時間騒ぎまくっていると、前から奴がやってきた。奴=トムクルーズ。奴とばっちり目があった。めんどくさ! で、奴が僕に近づいてきた。奴には取り巻きが他に二人いた。骨川スネ夫みたいな細いのと穏やかなスタンハンセンみたいな巨漢が左右、で、真ん中にリーダー格の「奴」=トムクルーズ。皆カウボーイスタイル。めんどくさ!僕はまた何か嫌な事言われたら悪いけど酔った勢いに任せて蹴りを入れる予定だった。奴は僕の目の前に来た。何を言ってくるか僕は待った。「リュウマ、楽しそうだな。かなり酔ってるだろ、ハハハ。」奴は初めて僕を名前で呼んだ。僕はビックリした。「俺の名前知ってたのか?」と答えた。「もちろん。で、リュウマはいつまでこの町にいるの?また何処か行くんだろ?寂しくなるなぁ。」なんて、他愛ない立ち話を数分だけ奴とした。(僕は英語が片言だから会話はいつもあまり続かない。)まあでも、初めてまともに奴と会話をした。対等に、平等に。こいつ、悪い奴じゃないのかも?なんて思って、さらに気分良くなりしこたま飲んでカントリー音楽で踊りまくった。

数日してスタンソープは出て、また違う町に行きました。

ま、こんなプチドラマが行く先々で沢山ありました。

また気が向いたら書いてみます。





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by deavolaman | 2012-04-06 16:08 | 日記
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