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洋ナシ

気が向いたので、次は違う農場でのお話。ちょい長勘弁。

ブリスベン近郊の田舎町スタンソープでズッキーニ狩りを一ヶ月続けた頃、ネットカフェで洋ナシ狩りの情報を得た。まだまだズッキーニは収穫期だったけど新たな刺激を求めたくスタンソープは離れることにした。洋ナシ狩りはメルボルンという都市から内陸に三時間くらいの場所、シェパートンという町だった。後半は少しだけ僕の中で良い奴となったトムクルーズにお別れを告げ、まずブリスベンへ。それから南下してシドニーに立ち寄り50ドルのテントを購入した。それからさらに南下してメルボルン近郊のシェパートンへと向かってみた。
 このシェパートンという町は、町全体が樹々に囲まれ湖なんかもあり自然豊かで印象はとても美しかった。珍しいことに、日本人というかアジア人はゼロだった(と思う)。なので少しばかりドキドキした。町の案内所にいき洋ナシ狩りとキャラバンパークの場所を教えてもらう。やっぱり何処もそうだけどキャラバンパークは中心部からは離れたところにあり徒歩で向かうのはキツかったので、ズッキーニで稼いだお金を使い175ドルのマングースの黒のマウンテンバイクを購入した。その荷台に65lのバックパックを括り付け、教えて貰ったキャラバンパークエリアへと向かった。いきなりパンクした。道端に無数のマキビシみたいな木の実が散らばっていて思い切りタイヤに刺さっていた。そこからは手でマウンテンバイクを押しながら一時間位かけてようやくキャラバンパークへと着いた。自転車は意味なしだった。

ここのキャラバンパークはとても気持ち良かった。穏やかな森の中に施設があるという感じで宿泊客も五十人くらい。洋ナシ狩りに来ているバックパッカーとただの旅人が半々くらいだった。僕は気に入った木を見つけてその下にテントを張った。またあてもなく数ヶ月はここで生活しても良いかなと思っていたからテントの場所決めには神経を使った。ここでの仕事の見つけ方は、とにかく近隣の洋ナシ園に行き直談判。自分の足で仕事を取りに行く。とりあえず宿泊してる場所の目の前にあった洋ナシ園に行ったらすぐにピッカーとして採用してくれた。ここの農場を切り盛りしていたのは、高倉健みたいな寡黙でダンディな50代の男性だった。前回とは違い、彼はピッカーをリスペクトしていた。常に謙虚な気持ちを持ち、年下も、外人も、分け隔てなくリスペクトの気持ちを持ち人と接していた。彼の印象は最初から最後まで、とても礼儀正しい紳士だった。

仕事の内容もズッキーニの時とは全然違った。5mくらいの鉄製の梯子と生成りの白のごつめな生地の可愛らしい前掛けバッグを渡され、ただ黙々と梨の木に梯子を掛け、木のてっぺんから梨をもいでいく。もいだ梨は前掛けバッグに入れ、バッグがパンパンになったら木製の巨大なキャビンに入れる。誰も監視はつかずマイペースに自由に仕事ができた。この木製キャビンを一つパンパンにしたら22.5ドル貰えた。初めは慣れず一日かけて二箱が限界だった。一ヶ月もすると要領を覚え一日五箱は梨を積むことができた。円換算すると日当一万円以上だったからなかなかだった。時間も好きな時に来て好きな時に帰る。休みたければ休みにした。本当に縛りのない自由な農園だった。作業中お腹が空いたら梨を食べた。梯子の上で梨の木の緑の葉の中で休憩しながら梨を何個も丸かじりした。食べた梨の残骸はばれないように遠くに投げた。隣の敷地にはネクタリンという小さめな桃もあったから、頂戴、と言えば高倉健似のオーナーから沢山貰えた。本当に最高だった。

テント暮らしをしていたキャラバンパークにはまた色んな輩がいた。一番目立っていたのは、あるイギリス男二人組だった。この二人はとにかく目立っていた。一人は黒髪長髪で女の子のような綺麗な顔をした超イケメン。ロックバンドのインキュバスのボーカルに激似だった。頭も良さそうで丁寧な英語を使っていた(ある時、彼に今何時かね?と聞いた時にそれは感じた)。彼は誰が見てもきっと超イケメンだったと思う。俳優にでもなれるんじゃないか、くらいに。で、そいつの相棒は真逆の印象、ガタイ良く丸坊主でチリペパのジョンフルシャンテに少し似たような、イケメンだけどいかにも悪そうなフーリガン臭ぷんぷんな奴だった。目が座っていて睨みの目力が半端なく誰でもよいから喧嘩したくてウズウズしてますという感じだった。僕はたまに長髪イケメンの方とは挨拶交わしたが坊主のほうはあまり目を合わせなかった。この二人は車で旅をしていた。きっと行く先々で女の子とは楽しみ男連中とは喧嘩もイケイケで楽しんでいくタイプ、どんなシチュエーションでも無敵という印象の二人組だった。

僕が一番、気が合ったのはドイツから来た同世代の男性だった。彼は二年間一人で自転車で世界を放浪していた。ヨーロッパを周りアジアに渡り流れ着いてオーストラリアの北部ダーウィンに入り、その時点で所持金が200ドルしかなかったので窓ガラス磨きのバイトで小銭を稼いでから自転車でオーストラリア大陸を縦断しスタンソープに来ていた。旅の道中は道でも普通に寝るそうだ。タフで寡黙でイケメンで頭が良さそうな印象だった。人との距離の取り方が絶妙で日本人の僕と近い感じだった。なので絶妙な心地良い距離感で彼と僕は気が合った。
 彼は僕にパンク修理の仕方を教えてくれた。二年間も自転車で旅を続けているとパンクは当たり前で彼は修理に必要な鉄ベラを使うことなく素手のみで簡単にタイヤから中のチューブを引き抜き、空いた穴にヤスリを掛けボンドをつけゴムパッチを貼り、わずか数分で僕の自転車を直してくれた。その後、リュウマもやってみなよ、と、彼にレクチャーを受け、なんとか鉄ベラを使わずに僕もタイヤからチューブを引き抜くスキルを身につけた。2012年の今現在はすっかり忘れてしまったが、当時はそれ以降何度かパンクし自分で修理ができるようになっていた。

洋ナシ狩りを終えるといつもポテトチップスを食べた。ビネガー味というのがあり、日本の「すっぱむーちょ」の濃い味バージョンで見事にハマった。共同のリビングでは毎日、シンプソンズを見ながらビールを飲んだ。ビリヤードも知らない奴らとやったりした。
 夜になると、一人の女子がアコースティックギターで毎晩弾き語りをした。彼女は映画ゴーストワールドの眼鏡の方に雰囲気の似た、美人さんではなかったが個性的なお洒落さんだった。こんな田舎町の森の中のキャラバンパークなのに真っ赤なワンピースを着たりしていた。そして、彼女の歌声は本当に美しかった。聴いたことのない曲ばかりだったから、きっと彼女のオリジナルソングだったと思う。リサローブ級の美声でいつも優しい歌を歌ってくれた。それを遠目からビールを飲みながら星空の下、皆が静かに聴いていた。

梨の収穫期が終わり、二ヶ月弱でスタンソープはあとにした。僕にとっては穏やかで綺麗な思い出だけが残った町だった。

と、まあ、僕の2001年2002年はこんなプチドラマ一人旅でした。


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by deavolaman | 2012-04-08 15:04 | 日記
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