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11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち

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☆主演の井浦新氏の髪を一緒に作らせて貰いました。新氏の気合いが伝わり僕にとっても心地よい緊張感のあるヒトトキでした。2012年6月2日、劇場公開だそうです。僕も観に行きたいと思います。
# by deavolaman | 2012-06-01 01:24 | 日記

リマから

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☆ペルーのリマからエアメール。世界を旅してる漢クンから。彼の兄の栄は僕がオーストラリアに居た時に出逢えた親友。栄も今はアイルランドのコーク近郊の街にアイルランド人の才兼美女な伴侶と子供達と住んでいる。漢クンも最愛の人と出逢えたら世界一周は中断も全然ありだと思う。it's so easyで楽しんで!
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# by deavolaman | 2012-04-20 11:32

カカドゥ

ダグラス温泉からの続き。夜中になり、タフな車旅からダーウィン市街の雰囲気の良い安宿にエドさんと僕は戻った。ここで僕はエドさんに、ある自慢をされた。エドさんは当時発売されたばかりの初期型iPodをこの旅に持ってきていた。そのiPodの凄さをダーウィンの宿の中でレクチャーされた。鮮明に覚えている。

ダーウィンの街はジャングルの端に強引に作られたような造りだった。なのでメインストリートは一筋のみ。その一筋に宿や商店全てが集約され世界中からの旅行者で溢れていた。とても活気があった。僕らの泊まった雰囲気の良い安宿の前には何本かの雰囲気の良い木があり、なんとその木には猿が住み着いていた。リスザルみたいな可愛い猿達が当たり前のように目の前で戯れていた。素敵な光景だった。

僕らはその後、カカドゥ国立公園というジャングルに行こうと予定を立てた。カカドゥは悪路が多く、流石のダーウィンのレンタカー屋も車の貸し出しは無理だった。なのでアドベンチャーツアーみたいなやつで行くことにした。このカカドゥ国立公園というところは、映画クロコダイルダンディーのロケ地にもなった。野生の7m級のクロコダイルが河に何万匹といる。そんな所だった。本格的にチューンナップされた四輪駆動のジープに乗り込み専門ガイドと共にエドさんと僕、それと他の旅行者数人で一泊のツアーに参加した。朝に出発、昼過ぎにはカカドゥ国立公園に着いた。公園との名称だが、手付かずのジャングルの中に舗装された道路とガソリンスタンドがある感じだった。中にはアマゾン河のようなどぶ色の巨大な河があり小さなエンジンのついた小さな古い舟に乗った。蓮の花が一面河に浮かんでいてクロコダイルが当たり前に泳いでいた。日向ぼっこする7m級のクロコダイル。泳いでいるクロコダイル。僕らをみて身を隠すクロコダイル。舟が転覆したら…と考えると恐ろしかったが、まあ街中の鳩の群れのごとく見事にクロコダイルだらけな世界だった。

それからは、三時間くらいかけ灼熱の陽射しの中、広大な大自然をトレッキングした。古代アボリジニの壁画を見たりと、景色はどこを見ても素晴らしかった。三時間かけ最終地点の名前のわからない滝壺に着いた。深緑色の冷たそうな滝壺の大きな池には上から一筋の滝が激しく落ちていた。そのしぶきが霧となり灼熱の陽射しの大気を涼しい空気へと変えてくれていた。僕はとにかく暑かったので滝壺に飛び込み平泳ぎや、仰向けになり水にプカプカと浮いて涼んだ。最初、あまりに滝壺の水が冷たく一瞬で両足の筋肉が攣り溺れそうになったがそのまま30分位、滝壺の水の中で涼んだ。エドさんは滝壺には入らず岩場の涼しいポイントを探し読書したり仰向けになって昼寝してたりして休んでいた。

しばらくすると、怪しい雨雲が空を一面覆った。夕方のカカドゥの空は真っ暗になった。スタッフが近くまで車を持ってきてくれてたのか、今となっては覚えていないが、僕らはすぐに四輪駆動のジープへと戻れた。車に戻った瞬間、とてつもない豪雨と雷が襲ってきた。僕らは間一髪セーフだった。僕らの車は雷雲の真っ只中にいるようだった。稲光が真横に走ったり下から上へと走ったりと、雷が雨雲の中で暴発し四方八方に幾つも飛び散っていた。あんな激しい雷は見たことが無かった。

そのまま造りのしっかりとした軍用の様なテントのある公園内のテントサイトへと移動した。夜になると雨もすっかり上がった。僕らはガイド含む他の旅行者と数人でジャングルの中のキャンプサイトでバーベキューとビールを楽しんだ。もうヘトヘトで、きっと22時くらいには皆テントへ引っ込み寝た。夜中になると謎の野生動物の遠吠えや叫び声が凄かった。夜中のジャングルはうるさかった。ビールを飲んだせいか真夜中になり僕は無性にお小水に行きたくなった。テントから離れたところに仮設トイレがあったので夜中に一人、テントを出て真っ暗闇の中を小さなマグライトで照らしながら向かった。テントの外は正に真の闇だった。何にも見えない。ライトで足元を照らし無事にトイレに辿り着くことができた。そして漏らすことなく事なきを得た。

トイレからテントに戻る時に異様な光景を目にした。ライトで前方を照らした時に僕の目の前に巨大な動物の影が四つ動いていた。真っ暗すぎて全く見えないが熊レベルのでかい動物が四匹、僕のたった2m位前方にいた。僕は全身から変な汗が一瞬で吹き出るような、とんでもない緊張感に襲われた。僕は恐怖で固まってしまっていたが、その巨大な動物の影にライトをゆっくりと改めて照らしてみた。正体は巨大な野生の馬だった。真っ黒な巨馬。四頭。とてつもなく大きく感じたが、標準サイズなのかもしれない。それはわからないが、まあ、でかかった。馬達は僕の存在に気づいていたが襲ってはこなかった。何をすることもなく僕の目の前でウロウロとしていた。食べ物でも探しているような感じだった。しばらくすると巨大な馬達が少しだけ僕から遠ざかった。僕はその隙に早歩きでなるべく音をたてずテントへと戻り、自分とエドさんが使っているテントには戻らず専門ガイドスタッフのテントに行き、馬鹿でかい馬がいるぞ!起きろ!と、寝ているガイドを起こした。ガイドはすぐに起きてくれてテントの外に出てきてくれた。ライトで照らすとまだ巨大な馬達は僕らのすぐ前方にいた。ガイドのオージー男性は、ああ、ワイルドホースだ。安心していいよ。性格は優しい。きっとバーベキューの残りを漁りにでもきたんだよ、ちょっと一緒に来てみな。と、ガイド男性は馬達へと近づいていった。僕も彼についていった。その後、ガイドの彼は野生の馬に気軽に触った。馬は全く怒らなかった。ガイドの彼は野生の馬を笑顔で撫でてあげていた。馬もそれを受け入れていた。驚くべき光景だった。僕は野生だし蹴られるんじゃないかと怖くて結局触れなかった。
その後、他の旅行者一、二名が外の異変に気づき起きてきて馬達の姿を見れたと思う。今となってはあまり記憶にないが、他の皆はテントで熟睡していたと思う。エドさんも、確か熟睡していたと思う。

そんなツアーだった。

ダーウィンに戻り、すぐまたシドニーに帰り、エドさんは東京へと帰っていった。

2001年のクリスマスシーズンはそんな感じでした。






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# by deavolaman | 2012-04-13 20:42

ダグラス温泉

2001年のクリスマス、僕はシドニー空港近くのtempeという街で多国籍な人々と一軒家をシェアしていた。そんな時、東京から、長いお付き合いをさせて貰っているイラストレーターのエドさんから、そっち遊び行くわ、と連絡貰い、メールで旅の行程のやり取りをし、シドニーで待ち合わせをした。

オペラハウス近くのロックスというエリアのエドさんが宿泊するホテルの鉄板焼き屋で久々の再会をした。異国の地での待ち合わせは不思議な感じでとてもワクワクした。鉄板焼きは高級価格だったので僕はエドさんに奢って貰うことにした。そして、たらふく高級肉を食べた。自炊パスタとチャイナタウンの激安チャーハンの毎日だったので問答無用に食べまくった。ご馳走様でした。

その後、シドニーにあるアートギャラリーを幾つか巡った。東西南北に点在するアートギャラリーをエドさんは最初からタクシーでまわりたがっていたが、僕は、折角だから歩きましょ、と強引に何時間も徒歩でシドニーの街中を歩き巡るプランを推し進め、エドさんもブーたれながらそれに付き合ってくれた。初めての街を歩く。これだけで楽しいはず、なんて勝手に思い、二人で途中コーヒー飲んだり軽食なんかをつまみながら天気の良い真夏のクリスマスシーズンのシドニーをひたすら歩き回った。シドニーの真夏の気候は最高に気持ち良く、日向はジリジリと肌を焦がす位暑く、ビル陰などの日陰に入ると冷んやりと涼しく湿気もなく汗が自然と引いてくれる、という感じ。だから歩きも苦にならない、と。

次の日、オーストラリア北部のダーウィンへと、シドニーからレンタカーで向かおうと幾つかレンタカー屋をあたってみた。これがまた意外なことに全ての店で断られてしまった。理由は、あんなジャングル地帯に冗談でしょ?車壊すようなもんだ!無理!とのことだった。

結局、エドさんと僕は飛行機でダーウィンへと向かった。レンタカー屋で日中を費やしてしまったので夜のフライトだった。フライト時間は二時間弱、僕は機内の窓側だった。なにげなしに窓から真っ暗な外を眺めていた。ふと気づくと小さな光がずっと僕らの乗る飛行機についてきていた。明らかにU.F.Oと確信し、隣で寝ているエド氏を叩き起こし、エドさん、やばい、U.F.O!と耳打ち。リュウマお前アホだろ、あれはこの飛行機の羽の照明だ!と、よく見ると照明だった。あの時の恥は今も鮮明に思い出してしまう。照明でした、間違いなく。

ダーウィンの街に夜についた。なぜダーウィンに来たのか?は、エド氏が「世界のパワースポット」なる本を持参し、その中にダグラスホットスプリングという自然の中にある川の一部だけが温泉になっている、との嘘の様な記事の真否の確認をする為だった。これが今回のこの旅の目的だった。しかし、果たしてその場所がわかるか否か?も定かではなく、その本の少ない情報を頼りにそこまで行ってみようという試みだった。

ダーウィンのレンタカー屋はすぐに車を貸してくれた。90年初期の黒のいかついトヨタカムリだった。この車で、オーストラリア大陸のど真ん中を北から南へと結ぶ道路、一号線をただひたすらと南下した。大陸のど真ん中にあるアリススプリングという町の少し北に位置するダグラスへまずは向かった。灼熱のダーウィンはすぐに大地が赤土に変わり見渡す限り巨大な蟻塚、破裂したタイヤ片の数々、給油ポイントをミスると死に直結する予感もあり、緊張感ある長距離ドライブとなった。エドさんと僕は運転を交代しながら猛スピードでひたすら南下直進。あるか否かもわからないダグラス温泉へ、気分は川口ヒロシ探検隊に近かった。

朝にダーウィンを出発し、もう夕方も近くなっていた。5、6時間ひたすらと猛スピードで直進のみ。お互いに疲労も感じていたと思う。たまに猛スピードの対向車がすれ違う。ある対向車がすれ違った時に小石が凄い勢いで飛んできた。僕らのトヨタカムリのフロントガラスにヒット。見事に蜘蛛の巣状のヒビがフロントガラスに入ってしまった。ありゃありゃ、請求が怖い。だが仕方なし。構わずそのまま直進のみ。まだかな、まだかな、と存在するか否かもわからないダグラスへの旅も、そろそろ心がくじけそうになった頃だろうか?猛スピードで走っていたら鉄製の小さな看板に、ダグラス、とあった。この時は感動した。本当にあった、ダグラス。看板に従い初めて左折という行為をした。

左折をし、ダグラスというエリアに入ると無人の牧場のような、キャンプ場のような敷地になった。誰も居ない。しばらく敷地内を車で走ると白いキャンピングカーが一台停まっていた。僕らもその車近くに停車した。ようやく単調な猛スピード長距離ドライブが終わった。そこからエドさんと僕は徒歩で辺りを散策した。車を停めた先に急斜面があり降りると自然がいっぱいな樹々の中に綺麗な川が流れていた。野生の鳥がたくさん囀っていた。蔦も生い茂り、ジャングルの中にある綺麗な川という感じだった。川は浅く水は綺麗に澄んでいた。裸足になり川の中に入ると冷んやり冷たい。とても気持ちが良かった。しばらく川の中をエドさんと僕は歩いた。もう、温泉とかいいや、と綺麗な冷たい川の中、思っていた。すると一人の白人の若者が川の中で肩まで浸かって空を見ながら黄昏れていた。僕らは彼に遠くから話しかけた。ねえ、ダグラスホットスプリングって知ってる?

すると若者は、ここがそうだよ。と答えてくれた。えっ?と僕らは吃驚した。どう見ても川。それもこんなに冷たいのに、そこだけ温泉なんてあり得ないだろ?と、急いで彼の方へと僕らは向かった。彼の近くに近寄った時、川が急に暖かくなった。えー!

冷たく綺麗な川の一部だけが見事な温泉となっていた。きっと水温30度くらい。そこから小一時間、白人ニュージーランドの若者男性とエドさんと僕のたった三人で野生の鳥達の囀る大自然の中のダグラス温泉を広大な夕暮れの空を見上げながら黄昏れ、堪能した。

帰りはしんどかった。夜中にダーウィン市街に到着。泥の様に寝た。

蜘蛛の巣状のヒビがフロントガラスに入ってしまったトヨタカムリは、次の日にレンタカー屋に訳を言うと、doesnt matter.(問題ないよ。)と、なんにも請求されなかった。ダーウィン恐るべし。

ダグラスホットスプリングは本当に実在しました。以上。

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# by deavolaman | 2012-04-13 13:56

洋ナシ

気が向いたので、次は違う農場でのお話。ちょい長勘弁。

ブリスベン近郊の田舎町スタンソープでズッキーニ狩りを一ヶ月続けた頃、ネットカフェで洋ナシ狩りの情報を得た。まだまだズッキーニは収穫期だったけど新たな刺激を求めたくスタンソープは離れることにした。洋ナシ狩りはメルボルンという都市から内陸に三時間くらいの場所、シェパートンという町だった。後半は少しだけ僕の中で良い奴となったトムクルーズにお別れを告げ、まずブリスベンへ。それから南下してシドニーに立ち寄り50ドルのテントを購入した。それからさらに南下してメルボルン近郊のシェパートンへと向かってみた。
 このシェパートンという町は、町全体が樹々に囲まれ湖なんかもあり自然豊かで印象はとても美しかった。珍しいことに、日本人というかアジア人はゼロだった(と思う)。なので少しばかりドキドキした。町の案内所にいき洋ナシ狩りとキャラバンパークの場所を教えてもらう。やっぱり何処もそうだけどキャラバンパークは中心部からは離れたところにあり徒歩で向かうのはキツかったので、ズッキーニで稼いだお金を使い175ドルのマングースの黒のマウンテンバイクを購入した。その荷台に65lのバックパックを括り付け、教えて貰ったキャラバンパークエリアへと向かった。いきなりパンクした。道端に無数のマキビシみたいな木の実が散らばっていて思い切りタイヤに刺さっていた。そこからは手でマウンテンバイクを押しながら一時間位かけてようやくキャラバンパークへと着いた。自転車は意味なしだった。

ここのキャラバンパークはとても気持ち良かった。穏やかな森の中に施設があるという感じで宿泊客も五十人くらい。洋ナシ狩りに来ているバックパッカーとただの旅人が半々くらいだった。僕は気に入った木を見つけてその下にテントを張った。またあてもなく数ヶ月はここで生活しても良いかなと思っていたからテントの場所決めには神経を使った。ここでの仕事の見つけ方は、とにかく近隣の洋ナシ園に行き直談判。自分の足で仕事を取りに行く。とりあえず宿泊してる場所の目の前にあった洋ナシ園に行ったらすぐにピッカーとして採用してくれた。ここの農場を切り盛りしていたのは、高倉健みたいな寡黙でダンディな50代の男性だった。前回とは違い、彼はピッカーをリスペクトしていた。常に謙虚な気持ちを持ち、年下も、外人も、分け隔てなくリスペクトの気持ちを持ち人と接していた。彼の印象は最初から最後まで、とても礼儀正しい紳士だった。

仕事の内容もズッキーニの時とは全然違った。5mくらいの鉄製の梯子と生成りの白のごつめな生地の可愛らしい前掛けバッグを渡され、ただ黙々と梨の木に梯子を掛け、木のてっぺんから梨をもいでいく。もいだ梨は前掛けバッグに入れ、バッグがパンパンになったら木製の巨大なキャビンに入れる。誰も監視はつかずマイペースに自由に仕事ができた。この木製キャビンを一つパンパンにしたら22.5ドル貰えた。初めは慣れず一日かけて二箱が限界だった。一ヶ月もすると要領を覚え一日五箱は梨を積むことができた。円換算すると日当一万円以上だったからなかなかだった。時間も好きな時に来て好きな時に帰る。休みたければ休みにした。本当に縛りのない自由な農園だった。作業中お腹が空いたら梨を食べた。梯子の上で梨の木の緑の葉の中で休憩しながら梨を何個も丸かじりした。食べた梨の残骸はばれないように遠くに投げた。隣の敷地にはネクタリンという小さめな桃もあったから、頂戴、と言えば高倉健似のオーナーから沢山貰えた。本当に最高だった。

テント暮らしをしていたキャラバンパークにはまた色んな輩がいた。一番目立っていたのは、あるイギリス男二人組だった。この二人はとにかく目立っていた。一人は黒髪長髪で女の子のような綺麗な顔をした超イケメン。ロックバンドのインキュバスのボーカルに激似だった。頭も良さそうで丁寧な英語を使っていた(ある時、彼に今何時かね?と聞いた時にそれは感じた)。彼は誰が見てもきっと超イケメンだったと思う。俳優にでもなれるんじゃないか、くらいに。で、そいつの相棒は真逆の印象、ガタイ良く丸坊主でチリペパのジョンフルシャンテに少し似たような、イケメンだけどいかにも悪そうなフーリガン臭ぷんぷんな奴だった。目が座っていて睨みの目力が半端なく誰でもよいから喧嘩したくてウズウズしてますという感じだった。僕はたまに長髪イケメンの方とは挨拶交わしたが坊主のほうはあまり目を合わせなかった。この二人は車で旅をしていた。きっと行く先々で女の子とは楽しみ男連中とは喧嘩もイケイケで楽しんでいくタイプ、どんなシチュエーションでも無敵という印象の二人組だった。

僕が一番、気が合ったのはドイツから来た同世代の男性だった。彼は二年間一人で自転車で世界を放浪していた。ヨーロッパを周りアジアに渡り流れ着いてオーストラリアの北部ダーウィンに入り、その時点で所持金が200ドルしかなかったので窓ガラス磨きのバイトで小銭を稼いでから自転車でオーストラリア大陸を縦断しスタンソープに来ていた。旅の道中は道でも普通に寝るそうだ。タフで寡黙でイケメンで頭が良さそうな印象だった。人との距離の取り方が絶妙で日本人の僕と近い感じだった。なので絶妙な心地良い距離感で彼と僕は気が合った。
 彼は僕にパンク修理の仕方を教えてくれた。二年間も自転車で旅を続けているとパンクは当たり前で彼は修理に必要な鉄ベラを使うことなく素手のみで簡単にタイヤから中のチューブを引き抜き、空いた穴にヤスリを掛けボンドをつけゴムパッチを貼り、わずか数分で僕の自転車を直してくれた。その後、リュウマもやってみなよ、と、彼にレクチャーを受け、なんとか鉄ベラを使わずに僕もタイヤからチューブを引き抜くスキルを身につけた。2012年の今現在はすっかり忘れてしまったが、当時はそれ以降何度かパンクし自分で修理ができるようになっていた。

洋ナシ狩りを終えるといつもポテトチップスを食べた。ビネガー味というのがあり、日本の「すっぱむーちょ」の濃い味バージョンで見事にハマった。共同のリビングでは毎日、シンプソンズを見ながらビールを飲んだ。ビリヤードも知らない奴らとやったりした。
 夜になると、一人の女子がアコースティックギターで毎晩弾き語りをした。彼女は映画ゴーストワールドの眼鏡の方に雰囲気の似た、美人さんではなかったが個性的なお洒落さんだった。こんな田舎町の森の中のキャラバンパークなのに真っ赤なワンピースを着たりしていた。そして、彼女の歌声は本当に美しかった。聴いたことのない曲ばかりだったから、きっと彼女のオリジナルソングだったと思う。リサローブ級の美声でいつも優しい歌を歌ってくれた。それを遠目からビールを飲みながら星空の下、皆が静かに聴いていた。

梨の収穫期が終わり、二ヶ月弱でスタンソープはあとにした。僕にとっては穏やかで綺麗な思い出だけが残った町だった。

と、まあ、僕の2001年2002年はこんなプチドラマ一人旅でした。


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# by deavolaman | 2012-04-08 15:04 | 日記